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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年3月30日月曜日

「還暦」  二巡目の世界

還暦(かんれき)。




十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる




甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。


阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。








還暦を迎えるということは、

一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
  


もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。


そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。

少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。


時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。


太極拳と同じです。先の先の先・・・。










「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。






「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。




「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。


一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。


生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。




太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。






まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。

















「還暦」  二巡目の世界

還暦(かんれき)。




十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる




甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。


阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。








還暦を迎えるということは、

一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
  


もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。


そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。

少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。


時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。


太極拳と同じです。先の先の先・・・。










「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。






「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。




「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。


一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。


生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。




太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。






まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。

















2015年3月27日金曜日

独立歩

かなり乱暴に書いてしまうと「片足立ち」のことです。






ひとつの難関でもあります。
片足でグラグラ。まして足を上げるなんてとてもできない!・・・という感じです。








見落しがちなのですが、上げる足ばかりに気を取られてしまって支える足のことを
忘れていることが多いです。支える足に気を配っていれば、立つだけならそう
難しくはありません。




あと、脚を高く上げようとしないこと。
はっきりいって、見栄です、見栄。
ガチガチの動き方で、歯を食いしばって高く蹴ろうとしている場合もありますが、
体に悪いだけですからね。また、蹴り脚ばかりに気が行ってしまって骨盤が思い切り
傾いてしまったりしては意味がありません。




太極拳はご存じの通りゆっくりの動作です。勢いでごまかしができません。
ゆっくり上げて、ゆっくり下ろすという動作です。勢いと反動でエイヤッと
蹴られないので、余計に難しいと思います。
等速が約束の套路で「蹴り」だけパッとやるのは認めません(笑)。




さらに、太極拳的に高く足を上げてハイキックをするということは、柔軟性はもちろん
上げ下げする筋肉、持ち上げて維持する筋肉などが必要になりますから、
それはもう難しい難しい。
※上手い人は骨と筋でできるのでそこまで大変ではありませんが、到達するのが難しい。


姉弟子のようにローからハイ、前蹴り、下段蹴り、膝蹴りまであれこれ
「(楽しく)蹴りた~い」人はバシバシやってますが、普通はそこまでやらなくても問題ありません。












太極拳的に大事なのが独立歩、つまり片足立ちでバランスを取ることです。そして、
脚を高く上げる前に大事なのが膝を上げることです。


太極拳は技としてハイキックもミドルキックもありませんので、脚を高く上げる
必要がないのです。迂闊な蹴りは相手に取られてしまいます。




ただし、独立歩が太極拳の目的ではないことは申し上げておきます。
独立歩が技なのではなく、技を完成させるために片足立ちになる必要があります。
たとえば分脚、金鶏独立、退歩跨虎・・・いずれも独立歩または独立歩を伴う型。
そして、どんどんグラグラしてください。グラグラしている中でバランスを取り戻す
練習だと思って、恐れないでチャレンジしてください。日常だといつバランスを
崩すか分かりません。




また、実は上述の姉弟子のように何か蹴る対象、たとえば目の前に敵がいると
思って蹴ると不思議と安定することが多いように思います。これもまた太極拳の
武術性でしょう。基礎鍛錬ではこういう「仮想感覚」も地味にやっています。




脚を高く上げる必要はないと書きましたが、女性が脚をスラリと高く上げる様の
美しさを考えると、追求するのもむべなるかな。
太極拳だけでなく、八卦掌でもよく合いますね。


まずは基礎鍛錬、そして太極拳の型の動きで筋肉の無駄な力みを抜くことを覚えると
けっこう柔らかくなります。







2015年3月20日金曜日

太極拳の基本  攬雀尾(らんじゃくび)

 新入会の会員さんたちに「攬雀尾(らんじゃくび)」を指導しました。


 いきなり型の1番目から・・・というわけではなく、もっとも頻繁に出てくる型であり、
かつ太極拳の基本であるを攬雀尾の流れを学んでもらうのが目的です。
掤・捋・擠・按の動作から成ります。そこに採と挒を加えて合わせて6つの動作を
学習してもらいました。これがある程度できるようになれば、
皆で太極拳をする時に付いてくるのがかなり楽になります。
動作が小さく短いので自宅学習にも向いています。


 そして師範の指示でを搬攔捶(はんらんすい)を追加しました。
一見すると普通のパンチのように見えるんですが、その実、パンチではありませんし、
また、突きだけに終わる型でもありません。
ただ、搬攔捶の型云々よりも最も理解してもらいたいのが、
まずは拳を「置く」ということ。当てるのではなく、「置く」こと。
太極拳では大事な要素ですが、実はこれがなかなか出来ないのです。
技巧的に難しいとか運動神経とか筋肉とかの問題ではなく、ついつい深層心理的に
まっすぐ腕を伸ばして突いてしまう。


一回二回程度では無理なので、このあたりを根気よくやってもらうことにしています。








 人の性(さが)といいますか、どうしても「腕」でやりたくなってしまうんですよね。
なめらかな動作であったり、おさえこもうとする力の掛け方であったり。そうではなくて、
いかに身体の力を有効に使ってもらうか、そういう身体の動かし方にシフトしてもらうか、
が重要です。腕と身体、そして脚がつながれば、それだけで動きがきれいになります。




 こうして新会員さんたちに攬雀尾の一通りを学んでもらいました。
攬雀尾をしている間はずっと三体式で立つので、それだけで十分に鍛錬になっています。
説明でどうしてもわかりにくいところは武術的用法を見せたり、軽く体験してもらったりしますが、
太極拳が武術であることに驚かれてしまうのはお約束。




 そして、やはり人によって得意不得意がありますね。
不得意を直しつつ、得意な技を伸ばしていってほしいです。






 余談ですが攬雀尾の雀は「孔雀(クジャク)」を指しているという説があるようです。
孔雀というと優雅さばかりが目立ちますが、その実は「毒蛇喰らい」の
猛々しい鳥です。サソリやヘビなどを平気で食べるところから邪気払いの象徴として
仏教系では「孔雀明王」の名で信仰に取り入れられたりもしています。
ギリシャ神話@女神ヘラのペットでもあります。


※お分かりの通り、「孔雀王」の話をし始めると長くなるんでこのくらいに(笑)


※※実はヘビやらサソリやらを喰う鳥はけっこういます。逆にクジャクは
   ニラやネギ、タマネギも食う悪食っぷりを知って驚いたことがあります。
   飼うのは餌に関しては楽そうですが、蹴爪がデカいんで蹴られると
   かなり痛いようです。




孔雀のように、優雅さの中にも秘めた強さ・芯の強さを備えることが
求められているのかもしれません。






まだ会員枠はありますので、春からやってみたい方はお早めにお申し込みください。
見学・体験は随時受け付けておりますのでご遠慮なく。





2015年3月17日火曜日

丹道

李老師の知人でもある「丹道」の胡坤壬老師が台湾から大阪に来られていました。

せっかくの機会でもあるので、丹道の講義に参加してきました。胡老師は日本語があまり得意ではなく、
李老師の通訳のもとで授業が進んでいきました。

丹道というのは、道教系仏教ともいうべき道義に基づいて「智慧を拓く道」を本題とします。そのための禅であり気功養生法であります。
智慧は仏教における様々の結果として得られた「悟り」のことで、また般若心経で有名な般若はサンスクリット語の漢語訳で、ほぼ同義です。



「性」「命」「心」「霊」を禅によって修めようというものであり、そして丹というのは心にも体にも効く「薬」であり、それを我が身に宿して練り上げる、
という具合にお考えください。さらに広く見ると世の中に対してのクスリ=文化といえます。

中国では伝統的に「性命双修」ということが言われており、「性」は、性質、本性として、それを養うとは精神性、人間性を磨くことになります。
「命」は、身体の健康です。「性命双修」とは、「性(人格)」にも「命(健康)」にも片寄らず、両方を並行して気功の修練を行っていくことを重要視します。
気功の修練の目的として、「悟り」があります。





  ※もっと簡単にいえば「心身の養生の道」でその道の先に悟りがありますよ、と。「悟り」なんて書くと大層な感じがしますが、
   「自己発見」といいますか、固定観念や感情などを払しょくして真我や宇宙観に到達するということも含んでいると思います。
   
   以下は私の憶測なので読み飛ばし推奨。
   悟りを「大層に」「難しく」「考えてしまう」のもある意味、社会世間に「束縛」され「影響」を受けた結果に出た感情と云えます。
   抱え込み、がんじがらめになった固定観念の鎖をほどいていく行程かもしれませんね。   


座学では道義や概念、要訣などを教えてもらい、実技ではいわゆる座禅を習いました。

座禅といっても、日本のお寺でよくあるような感じではありません。寝ていたら肩をバシっとやられるとかはありません。
修行とイメージするほどのこともなく緩いのですが、その分、自己責任ですね。

みなで座禅をしますが、ちらっとみるとコックリコックリとしている人もいます。
寝てしまってはダメでそういう時は「さっさと寝る」とのこと(笑)。

また、意のよって気だの何だのを導くとか、そういうものでもありません。
まさに「無為」ですね。


太極拳に通じるものもあり、たいへん勉強になりました。

2015年3月14日土曜日

美しき太極拳女子を応援します-03

最近、トマホーク(手斧)が気になっております。もともとの発祥はベトナム戦争で米軍が使用したことが契機のようです。
海外ではCQC(近接格闘)などが中心となり、日本でもようやく知られてきた感じがあります。


中国武術では鴛鴦鉞(えんおうえつ)などがありますが、あれは握り斧って感じですか。
日本の武術ではほとんど見かけません。本来的には武器ではありませんしね。
でも、白土三平の描く忍者漫画にはかならず出てくるんです。特に「ワタリ」とか有名ですね。




斧と云えば「マキ割り」が思い浮かぶと思います。
パカパカと割っていくのは大変なストレス解消になりますね。筋トレとしてのイメージもまたありますが、
筋肉を使ってではなく、斧の重さを利用するのが疲労も少なく効率的で好ましいようです。










さて、本題。
書店などではさまざまなトレーニングにかんする本がありますね。
腹を引っ込めるのは永遠のテーマとなっておりますが、ここ数年で増えてきたように思うのは「体幹トレーニング」とか、
「道具は要らない!自重を使う訓練法」とかありますが、太極拳ではとっくの昔に・・・というより、ごく当たり前のことです。


逆に体幹やインナーマッスルに関わらない基礎練習があったかな?というレベルです。
とうぜん太極拳の型を低い姿勢でするのもかなりの体幹トレーニングです。






体幹筋(たいかんきん、羅名: musculi trunci)は広義の骨格筋のうち、体幹に属する筋肉を総称したものである。
体幹筋は前体幹筋(主な一例腹直筋、腹横筋、腹斜筋、大胸筋)と後体幹筋(後背筋、脊柱起立筋、僧帽筋)に分けられる。
体幹筋に対して、上肢、下肢に属する筋肉を体肢筋と呼ぶ。略して体幹とも呼ばれる。
BIG3ではベンチプレスで胸部、デッドリフト、スクワットで背中を鍛えることができる。


体幹筋 wikiより抜粋




体幹は胴体の曲げ伸ばしのほか、姿勢を保ち、体全体のバランスをとる役割を担っています。
そしてもっとも大事な呼吸の役割もあります。

このように体を支える為の最も重要な筋肉ですので逆に体幹が弱すぎると、姿勢が悪くなったり、腰が曲がったり、
物を持ったときにギックリ腰になったり、といった具合に生活に支障をきたします。
また呼吸も浅くなり、循環も悪くなってしまいます。

怪我や体調不良を避ける為にも、体幹は強いほうが良いです。
特に女性は筋量が多い方が美容だけでなく健康上からも好ましいと思います。




ただ、太極拳では特定の部位を鍛えるという考え方ではなく、型や様々な姿勢、
歩き方における「動作」に関連した方法が主流になっています。
何よりも呼吸に携わる筋肉をもっとも重要視しています。横隔膜が筋肉痛になったりしたら、
むしろ喜ばしいことかもしれませんね。

フィットネス風にいうと「スロートレーニング」でしょうか。
ゆっくり動くのは決して高齢者向けのためでも、わかりやすいためでもなく、ただただトレーニングのためなんですね。

そしてトレーニングに終始することなく、ある程度下地ができれば、次は調身や調息に移っていきます。
心と身体、そして呼吸の三者を整えていく行程です。
太極拳がただの運動に終わらないということですね。





春からチャレンジしてみたい方、見学・体験も受け付けています。


2015年3月12日木曜日

周辺視

周辺視の練習をしている時ってどんな顔をしているのかと思って手鏡を見たら、自分でもびっくりするくらい目つきが悪くなってました。



こ、こんな顔で教室や他所の勉強会とか参加したのだとしたら・・・あわわ。

私がムーっとした顔つきをしている時は、周辺視の心がけや練習をしているんだと思ってください。


※周辺視=人相が悪くなるということはありません。
私の場合は元々の目つきがアレなんで(汗)。




周辺視がある程度できるようになると、老眼や首、肩こりの軽減になりますので、
練習しております。




私もそうですが、周辺視が多くの人に難しいのには理由があります。
視覚依存率8割以上の日常生活、人間社会では、切り替えろというのも無理な話です。
そもそもからして、我々の住む都市と云うのは「視覚」に基づいた環境設計やインフラということでしょう。
視覚の要求に基づいた環境であり、生活はまたそれに合わせることを要求されます。






もちろんこの場合の視覚と云うのは「一点集中視」です。
精度はすばらしいですが、ひたすら筋肉を酷使します。


焦点以外は見えないどころか、感知するのが困難です。
「歩きスマホ」がいかに危険かということもお分かりかと思います。






周辺視は武術に限らずおおよその身体操作に必要であり、視覚の基本となるものです。
そのひとつに重心や軸の変化があります。
見ることに集中してしまうとどうしても前のめりになります。
顔が、頭が、そして首が前にどんどん行ってしまいます。重量のある頭が前に行っているので
バランスを取ろうと、肩や背中で釣り合いをとる為、引っ張ります。引っ張るために筋肉が
常に縮んで緊張することになるので、肩や背中が凝るのです。

肺も胃腸も圧迫され、呼吸も浅くなり、循環もとても悪くなります。


型をする時も、あまりに見過ぎると軸が曲がって前傾してしまったり、
あるいは眉間のあたりから顔の前にかけてギューッとした感じになってしまい、
とても窮屈な感じの動きになってしまいます。
また、背中~太腿の裏にかけてのラインの意識もなくなってしまいますね。
剣道ですと「遠山の目付」ともいわれます。
まず周辺視が基本になってくるのですが、リラックス状態での集中が必要になってくるでしょう。
そうでないと動きもカチカチになってしまいます。




目と云うのはもともとは光の粒子を感じる受容器なんですね。無脊椎動物は皮膚の由来で、
脊椎動物は脳神経由来です。
光の情報をキャッチして、中枢神経系の働きで視覚が生じます。


そういう意味では、観ると云うよりも感じることを意識した方がいいかもしれません。
網膜で光を感じるという具合で。




余談ですが、鳥は人間の数十倍の視力を持ちます。
ある程度距離が離れていてもこちらの目線にすぐに気づきます。
猛禽類などでは数キロ先の獲物を発見できます。




最近では有名になりましたがシャコは12種類の色を識別でき(人間は3色)、それだけでなく
「円偏光」を認識できるということです。偏光を見ることのできる鳥や虫はいますが、
円偏光はシャコだけのようです。


※円偏光
電場(および磁場)の振動が伝播に伴って円を描く。回転方向によって、右円偏光と
左円偏光がある。角運動量を持つ。






昆虫は時間分解能が発達しております。
ハエの場合、光の明滅を300ヘルツまで感知できるそうで、1秒間に300コマを映せるビデオで
撮影をし、これを通常の30コマ送りで映し出せばその映像は時間を10倍の長さに引き延ばして
映し出すことになります。要するにハイスピードカメラと同じ理屈ですね。
(人間は30ヘルツまでしか感じられない)
速い動きに対する反応は速いですが、遅い動きに対する反応は鈍くなります。




人間でも「双瞳」という表現があります。一つの眼球にふたつの瞳孔が存在することです。
視力云々には関係なく、古代中国の貴人の相として知られています。
楚の項羽が有名でしょうか。
別々に2つあるのではなく、おそらく瞳がふたつ重なった感じかと思われます。
ただ、医学的にみると外科手術が必要ということであまりよろしくないようです。






光といっても、紫外線から赤外線までありますし、宇宙線やX線までいろいろあります。
その中で人間が見えているのは「可視光線」というたった0.000001%くらいだったと思います。


見えていないだけで、いろんな光が存在します。
そういう意味では、人間の感知できる範囲はちっぽけなものですね。






※周辺視ができるからといって、赤外線・紫外線やらが見えたりできません。念のため。





2015年3月8日日曜日

壁 かべ

借り物の言葉で恐縮ですが、「壁は他人から見えて自分から見えない厄介な代物」といいます。

ここでいう壁というのは主に心理的なものを指しますが、そこにもいろいろな意味が含まれています。
ある種の防衛本能でありますので、誰しもが持っているものですし発揮できて当たり前です。

しかし、発揮する時とところを間違えてしまうと、壁はどうしても自分を雁字搦めにしてしまいます。
学びの弊害にすらなる時があります。


その壁はさまざまな心理的要因、それこそ深層心理から出ていることが多いので、一筋縄ではいきません。
そして他人に見えて、自分には見えない、相当厄介な代物です。


「他人に見えて自分に見えない」というのを武術的に見ると、肉体的・心理的な隙であったりすることが多く、
守ることで逆に弱点を浮き彫りにしてしまっていることがあります。それに自分が気が付いていないので、
攻められる一方になってしまうのです。

また、壁のおかげで対人の間合い(太極拳の有効間合)に届かないのです。
練習でも技がかからないのは間合いが浅いことが多く、そこでもう一歩踏み込めばあっさりとかかってしまうことが多いです。
単純な対人緊張でもありますが、これが軽減されると倍ほどリラックスできて演武できます。


まさに「己を知る」ということでしょうか。


太極拳は、「内観」という行程をもって己を知ることを第一義とします。
内観とは簡単にいいますと肉体的・心理的に己を観察するということです。

問題点もとうぜん浮き彫りになるでしょう。痛みであれ、心理的抑圧であれ。
問題点として対処するのは大事ですが、それに囚われすぎるのもまた良くありません。
何とかしたいという思いもまた欲です。
しかし、基本的には「観る」ことが重要です。



・・・と書いたものの、あくまでも「理想」ですし、ここまで教室で四の五の云う訳ではありませんので。
ある日、こういうのが必要だな~って気づくこともあるかと思います。その日を待ちます。





ちなみに、わざと「壁」を作ることもあります。
有象無象の人混みや雑踏などで、結界というか気の障壁というか、そういうものです。
気分転換や余技であり、本職の方には到底及びません。







2015年3月3日火曜日

美しき太極拳女子を応援します-02

 ひな祭りですね。本来ならば旧暦なので来月の後半なのですが、新暦でもお祝いしてしまいましょう。桃の節句ですが、よく知られているように桃には邪気を払う力があります。そして生命力の源としても知られています。西遊記の孫悟空も西王母の桃を盗み食いして不老長寿を得ました。


ちなみに、桃花あるいは桃花殺(とうかさつ)という占事用語では「多淫、色欲」を示します。物事には表があれば裏があるということでしょう。


余談ついでに、桃にちなんだ技もあります。それは太極拳ではなく八卦掌で「猿猴献桃」という技です。意訳すると「おサルさんが桃をプレゼントしちゃうゾ」という意味です。こじんまりして地味ですが女性が使ってもけっこう強力な技ですよ。姉弟子の得意技のひとつで、先の意訳のようなノリで技をかけてきます(笑)。いや、これくらいのノリの方が殺気が無いのでス~ッと入ってこられてしまうんですよ。






 さて、太極拳と云えば呼吸です。吸って、吐く。これだけのことですが、最重要です。体の内側とかインナーマッスルとか、とにもかくにも身体の内側を目覚めさせるには呼吸が最大の近道です。
太極拳的にいうと「吐いて、吸う」であり、むしろ吸うことは体に任せます。呼吸筋、肋骨、背骨、横隔膜、骨盤底などなど、およそ身体の中すべてに影響があります。


実際に教室内では初心者に呼吸法など細かいことは指示しません。とにかく呼吸を忘れないことを、くどい位に言います。それくらい呼吸と云うのは忘れがちなのです。そういう注意を耳にして、中級者でも「あ、忘れてた(∥・Д・)」みたいにコッソリ修正します。
まして太極拳では立って動いているわけですから、ついつい四肢の動きに気を取られてしまいがちです。そのせいで呼吸がとんでもなく浅くなったり、下手をすると息を詰めていることすらあります。呼吸法や何やらのテクニック云々以前に、まず「吐いて、吸う」ことが何より基本なんですね。


ちなみに、呼吸はいわゆる心身のデトックスの基本でもあります。体内に何も溜めない、溜めこまないことが大事です。吐出ということは内側から外に出す流れを形成し、それを基本である呼吸から構築していくわけです。


内側から、外に出す。武術であれば「勁(けい)」。健康であれば「活力・弾力」。美容であれば「デトックス」。




 春から太極拳を始めてみたい、やってみたいという方。まだ定員に空きがありますので、お待ちしております。





2015年3月1日日曜日

美しき太極拳女子を応援します





師範曰く、「理に適う動きをすると美しくなる」。




勉強のために演武会や各種武道大会に見学に行っておりますが、太極拳に限らず、古武術や武道を嗜んでいる女性は綺麗な人が多いと思います。


流派の宗家や師範よりもまず女性を見る(笑)。
冗談はさておき、練習に励み、演武に臨む女性には「凛」とした美的印象を受けますね。
 




顔色、肌つやが良いということもありますが、それに加えて身のこなしや姿勢がたいへん整っているからだと思います。
太極拳は、姿勢であるとか目線であるとか立ち居振る舞いであるとか、「行住坐臥」の基本的な見直しから始まります。「行住坐臥」とは日常の立ち居振る舞いのことです。「行」は歩くこと。「住」はとどまること。「坐」は座ること。「臥」は寝ること。


すべてに呼吸が伴い、軸、丹田、重心、気etc・・・・・・基本を踏まえて套路(型)を行うことでどんどんと身体が変化していきます。また、無駄な力でブンブン動かすこと・肩で動かすことを極力避けますので、動作に角がなくなり、やさしく、たおやかさが出てきます。


そうそう、肩で動かすことを避けるのに関連して、デコルテラインもきれいになってきますね。肩がスッと落ちて、アゴ、首につながるラインがとても優美になります。さらに周辺視を心がけますので、目力があるけれど、ギッと睨んでいないという不思議な感じになります。