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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年9月29日火曜日

上達の秘訣・・・それは素直さ


太極拳がゆっくりなのは、決してお年寄り向けのためじゃありません。
自分自身の身体を知覚し、コントロールするための練習です。

というのは何回かブログでも書いたと思いますが、
実際問題として本当にゆっくり動くと練習にならないんですよね。


しんどくて(笑)。


教室でも本気でやると、けっこう敬遠されてしまいます。


ゆっくりだから覚えやすいとか謳いつつも、実際はビャーっと素早く動きたかったり、
ドカンと力を振り絞りたい欲求が人間にはあると思います。
ゆっくり動くのはあまりにもストイックすぎますね(苦笑)。







そして、ゆっくり動かすのは体だけじゃありません。
脳みその回転、というか思考の周波数も大きな幅にする必要があるようです。
これは頭の回転の速さが求められる世の中で、まったく逆行することですね。













格別な頭の回転、特別な運動神経が必要ないという点ではお年寄り向けだと思います。

太極拳は武術でもあります。武術は弱者が強者に対して生き延びる術でもあり、
そこには「卓越した才能や筋力、体格を持たざる者」という前提が常にあります。

また、太極拳を行法として考える場合、「本来あるべき自分の姿に戻る」という考え方が
根本にあります。
これはあらゆるモノを付け加える「加法」ではなく、どんどん引いていく「減法」なのです。
余計なものをどんどん取り払っていく末に自分が在る、見えてくるという訳です。

例えば、もともと自分の体格や年齢に合ったを筋肉を、特殊なトレーニングで更に太くすることができたとします。仮に、それで一時的に向上できたとしても、必ずどこかに無理が生じ、最後はその代償を払うことになります。

太極拳は健康であっても武術であっても「己を知ること」が重要な課題です。






(私としては健康と武術を分けて書くことは不本意ですが)


筋力、運動神経の優劣ではなく、まずこれを知ることが肝要です。

 



上達については、そう・・・やはり「素直さ」が重要です。

私の経験ですが、私の知人(50代)に「外丹功」を教えた時の話です。
その人におおよその要領といくつかの型を30分ほどレッスンしました。

その人は30分で「外丹功」の要領を身に着けてしまいました。
たしかに型は完全に覚えたわけではありませんが、動きや雰囲気がどうみても「外丹功」。
もう、できているのです。

ここまで早く身に着けた人を私は知りません。


私はなぜそんなに早く習得することができたのかを問いました。
曰く「素直さ」と。

あなたが言ったこと、教えてくれたことを、自分の考えを挟まずに
素直に取り込んだけ、と。



50代であり、膝もよくありません。
ただし、この人の場合、かなりのレベルで客観視ができること。
意識的に無意識になることを怖がらずに積極的に行えること。

ちょっと特殊なケースでもありますが、それでも素直さの重要性を
知るには十分すぎる経験でした。



何事においても学ぶにあたり、体力とか知力とか、学習能力とか、

そういうのはあまり関係ないのです。

いかに教えを取り込めるか、我が出ないか、素直になれるか、
それがひとつの壁になっていますね。


そういう自我の克服は一生ついて回ります。
それこそ死ぬ寸前まで(苦笑)。
自我は邪魔ものですが必要なものでもあります。
二律背反するコレをどうするか・・・大いなる課題ですね。

太極拳で自我と向き合ってみるのもまた面白いかと思います。

ご興味を持たれた方、御見学・体験をお待ちしています。



デッサン会も引き続き募集中です。



2015年9月20日日曜日

ケータイを扱うように

本日は一か月後に迫った「第三回中央式太極拳演武大会」の打ち合わせでした。他にも諸々の協議があり、食事を挟みながら終わったのは14時を過ぎていました。
みなさん、お疲れ様でした。長時間でぐったり感が否めませんでしたね。



協議の後は李老師や師範の講習会でした。
演武会の関係もあり、主に型の確認や主となりましたが、その中で、

李老師曰く、

「剣は神(精神)。なので動かない。体が動く。」
 
久々に観る李老師の形意剣でしたが、圧巻でした。



さて、今度の演武会では女性会員3名が「二十四拐(短棍術)」を個人の部で表演してくれます。練習も頑張っています。今日も早入りして自主練習されてました。

どんどん演武の幅が広がっていくのは喜ばしいですね。










武器術は簡単に云うと「手の延長」です。器物を我が身の一部とするわけですが、そこにはやはり独自の修練が必要になってきます。なので、上級者にはもちろん、ちょっと慣れてきた中級者にはとてもイイ功夫になります。器物を持つ緊張感や気持ちの変化、精密さ、身体の感覚・・・それらを克服したり養ったりするのにはとても良いです。
ピアノなどでもいかに鍵盤に触れる指の力を抜くかが重要になっているようです。あれも力でやっているのはありません。



普段通り、ケータイを何気なく扱うようにつかいこなせばいいのに、剣をもったり棒を持ったりした途端にガチガチになります。不思議ですね。


いうなれば「物の扱い方」なので、練習を積み重ねていけば、物を持つ、あるいは接触することによる肩や腕、目の緊張が軽減できるようになり、日常生活でも十分に役立ちます。ペン、カバン、ケータイ、カサなど、そういったアイテムをガサツに持つのではなく、スマートな扱い方もできるようになります。それは自分の「手の延長」なのですから当然のことなのです。



そして、女性が剣を振るう姿は舞にも似て大変優美なものです。中国剣だけは本当に女性向きですね。




引き続き会員を募集しています。
見学、体験のご応募受け付けております。







2015年9月14日月曜日

それぞれの宮本武蔵

 平常の身体のこなし方を戦いのときの身のこなし方とし、

戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とすること。


宮本武蔵 「五輪書」より。



これは太極拳、というより洋の東西を問わず、「武術」の究極の目的でしょう。





現在週刊少年チャンピオンで連載中の「刃牙」@板垣恵介。

クローン技術を駆使した結果、宮本武蔵が現代に復活し、主人公の刃牙をはじめとした様々な武術家や格闘家と戦うストーリーになっています。

板垣恵介が描く武蔵はまた独特の雰囲気があって、非常に良いと思います。
「バガボンド」の武蔵とはまた違う趣がありますね。

板垣は作中で「バガボンド」ひいては吉川栄治に系譜をつなげる武蔵像およびを否定気味に描いています。

*******

地下闘技場にて宮本武蔵と烈海王が戦い、烈海王の敗死をもって決着となった。




徳川翁が武蔵に問う。
烈海王とかの天才剣士・佐々木小次郎とはどちらが強かったのかと。

黙考する武蔵。


「あッ」
「船島だ」


と、武蔵はふと思い出したように船島――巌流島の正式な名称を言う。







そして佐々木某呼ばわり。

徳川翁「忘れてたっぽいが・・・?」
宮本武蔵「いやいや何を言うとる」「思い出したではないか」

*******


吉川栄治によって佐々木小次郎のよくある美剣士のイメージが定着してしまったことはいうまでもありません。それをここでバッサリと否定したというわけで(笑)。

烈海王を「関ヶ原の合戦」並みの手ごわさであったと評しましたが、一方の「バガボンド」では武蔵と小次郎が初めて出会ったのが「関ヶ原の合戦」なんですよね。




また、現在の進行状況では、宮本武蔵は訳ありで警察署の剣道場において現代剣道の最高峰の選手と竹刀で対決しますがこれを一撃で秒殺・失神。 その後に現れた合気柔術の渋川先生と対決モードに入っています。



が。






さっそく渋川先生が(イメージ刀で)斬られました。
(左腕ごと首を斬られるイメージを感じたわけで)。


老獪で百戦錬磨の渋川先生が油断していたわけはありません。地下闘技場での戦いも見た後ですし、まして相手は常人離れしたオーラの持ち主なのですから。よそ見も計算のうちでしょう。


しかし、おそらく相手の間合いを「素手」前提で考えていたことが失敗だったのではないかと。よそ見も誘いの内かもしれませんが、まさか(イメージとはいえ)斬撃が来るとは思わなかった・・・と。





吉川栄治でもない。「バガボンド」の井上版でもない。板垣版の宮本武蔵の描き方が面白くて毎週楽しみに読んでいます。




2015年9月6日日曜日

美しき太極拳女子を応援します-06 夏老け対策

秋になりました。

旧暦では当の昔に秋になってますし、来月の10/21には土用に入るので、それを過ぎるともう冬です。いちおう世間一般の流れに沿って御挨拶しておきます(笑)。

いろいろと美容、健康、自分磨きの美辞麗句を見かける季節になりました。夏はどちらかといえば肌を出す季節なので「美容」がイチオシでしたが、秋はどちらかといえばケアですね。



夏のお疲れ肌とか日焼けの後始末とか、


エアコンによる乾燥や冷え、日焼けなどで夏に蓄積された肌のダメージは、実年齢より老けてみられることを指す「夏老け」をもたらす。

出典「『温感美容』で夏の肌ケア エステローラーなど市場拡大」:イザ!

「夏老け」ですか。コワいですね~。







夏肌疲れだけでなく、体力などの落ち込みも秋や冬に持ち越さないための様々なフィットネスやプログラムがあります。各所でマラソン大会などもあり、いろいろと挑戦しがいのある季節です。


基本的に太極拳は力でも何でも「出すこと」がコンセプトなので、とうぜん、気でも老廃物でも疲れでもストレスでも出し切ることができます。 とにかく溜め込まない。人間は深く吐くように云われてもまず吸い込んでしまいますよね。太極拳はそれでさえも先ず息を吐く事、吐き切ることから始まるのです。


肺から息を出す。腎臓から不要な水分や老廃物を出す。腸からも搾りかすをどんどん出す。心臓は血を体中に押し出す。肌もどんどん汗を出す。人間、取り込むところは口と鼻だけですが、出すところはたくさんあります。このように呼吸を基本として「体の外に出す流れ」を身に着けると新陳代謝が促進されます。また、それこそあちこちでもらってくる(というより取り込んでしまう)不要な「気」を排出する狙いもあります。


一方で、心の方です。





太極拳のゆっくりとした動きは、姿勢(重心、軸)の変化を自分の意識で確認しながら動くことが基本のひとつにあるからです。そのゆっくりした意識的な動作が脳を刺激します。
変な言い方をすると、とても「忙しい」のです。

手足腰が同時に動き始めつつ、目線を水平に保ち、肌の感覚で空気を感じ、身体の陰陽を意識しつつ呼吸も忘れないで云々・・・。こんな感じです。

こういった感覚の刺激が常に脳に伝わるという点が、ジョギングなどほかのフィットネスにはない特徴です。ブログでも何度も書いていると思いますが、太極拳の動作は呼吸との関連が深く、一定のリズムで深い呼吸をともないながら動くことで、脳内のセロトニン神経を活性化する効果があるといわれています。セロトニンにはストレスを減らし、心の安定を保つ作用があり、脳内のセロトニン環境を整えることで、不安を解消し精神を安定させる狙いがあります。


こうして心身ともにリフレッシュを図ることができます。
太極拳は忙しいと書きましたが、もちろん初心者には段階をおって指導いたしますのでご心配なく。

多くの方が太極拳を始めて、自分の身体の動かなさに戸惑います。これだけゆっくりなのに、どうして?と。それは動き方が一般的なスポーツとは異なる上、リラックスして感覚重視で動くためです。
普通は運動すれば体は興奮状態になります。太極拳は心身ともに興奮状態になってはいけないのです。それは太極拳に限らず武術全般がそうです。自分は「明鏡止水」のごとくの心持であらねば、どんな外敵・危難から我が身を守ることなどできないからです。


出すことも動くことも感覚。動きのある瞑想。太極拳は他の誰でもない自分自身の身体との対話なのです。








自分自身との対話は、まさに自分を絶対の「心の拠り所」にできることにつながります。他への依存でもなし、他の目を気にすることもない。他を制する前に自分自身を知ることが、武術でも健康でも最重要になるからです。




2015年9月1日火曜日

馬齢を重ねる



「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

謙虚な態度の大切さを謳った言葉でありますが、本来的に考えるといろいろと面白いですね。

稲はいきなり実っていません。芽が出て、成長して、花が咲いて、稲穂になって、その重みで垂れるのです。
ということは、若いうちは頭を垂れていなかったことになります。
若いうちから謙虚であることは大事ですが、多少の傲慢さは許容されるということでしょう。
あるいは傲慢さやおごり高ぶりによって痛い目に遭い、その経験が多ければ多いほどそれらは自分の財産になる、
ということでしょう。

そうやって年を重ねながら貴重な経験をした後で、謙虚になるくらいな気持ちでいようということでしょう。


また、「頭を垂れる」ということですが、ひとつ気を付けたいのが、
稲穂は自らの意思を持って頭を下げているのではないという事です。

物理的にも、実った稲穂の重みで垂れているのです。

自分自身が意識をしながら謙虚になっているのではなく、ごくごく自然に、
ごく当たり前に、謙虚な生き方になっているよう(稲穂が実る)にも思えます。

「謙虚に生きようとする」のではなく、自分自身の実りを実感し、
それを受け入れている人はことさら謙虚に「生きよう!」としなくても、
自然に謙虚になっていくということでしょう。



そう考えると、これはなかなか難しい(笑)。

自我と真我の話になりそうですね。だとしたら、世の中のご無体なふるまいのご老人に腹を立てても仕方のない事です。

だって、そういう人たちは「謙虚」という稲穂が実らなかったのですから。



単刀直入に云いますと、傲慢なご老人も増えました。
電車の駆け込みなんてのはお手の物。降りてくる人よりも早く乗り、いち早く席を確保する。あの時の身のこなしだけは異常に素早い。太極拳も顔負けです(笑)。
道路は堂々と横断する。運転していて「このタイミングで横切るかっ!?」と驚かされることもしばしば。もちろん、世間における「高速道路逆走」の大半が高齢者なのは云うに及ばず。

ひたすら孫を甘やかす。叱ることもできません。「おばあちゃん子は三文安い」という言葉もありますが、意味を今一度良く考えてもらいたいものです。あなたの「我よし」な自我欲求が子供の未来と精神的成長をつぶします。


そして先日。教室にいきなりご老人が闖入してきました。片手に紙切れをもって 何やらわめいています。どうやら会場となる部屋が分からなくて、うちの教室に飛び込んできたようです。受付の人がどうたら、何々が何々でくぁwせdrftgyふじこlp・・・・完全に迷子です(笑)。先生も呆気にとられています。なんでこちらが文句や愚痴を聞かねばならないのですか?

仕方がないのでそこの部屋まで案内してあげましたが、もちろんお礼の一つもなく。
まさに「傲慢」。

まして、ここは借りているとはいえ「教室」が開講されているのです。そこにいきなり挨拶もなく入り、童のごとく不明瞭な発言を繰り返すとは非礼にもほどがあります。
 

ひさびさにご無体なご老人を目の当たりにし、これで「年寄を敬え」という方が無理というものでしょう。

私よりも長く生きているはずなのに、今までの人生で何を学んできたのか?

まさに「馬齢を重ねる」ものだと皮肉りたいですね。



幸いにして、中央式にはこのような方がおられません。なのでどうしても比較してしまいます。



中央式太極拳は「お手軽楽々健康体操」ではありません。
文字通り「功夫」であり、日本的にいえば「行」なのです。

健康の回復や身体操作の上達のためには「素直さ」と「謙虚さ」が嫌でも必要になってくるのです。









ただ、私、「実るほど・・・」の言葉があまり好きじゃないんですよね。

理由をいいますと、アレなんですよ。



「火垂るの墓」で有名な「西宮のおばちゃん」が言ったセリフでもありまして、
あのおばちゃんの顔がちらつくので、けっこうイヤになるのです(苦笑)。







こういう画像も貼られてました



先日も同作品の放送がありましたが、ネット掲示板では恒例の「西宮のおばちゃん論争」が
繰り広げていました。「西宮は悪魔の棲む街」とまで言われてましたが、
今回、多かった論としては「正論だがムカつく」です。



「西宮のおばちゃん」に関しては、人間の、状況におけるいろんな側面を凝縮した、
ある意味において傑出したキャラクターとも言える点はすごく評価しています。